日本文学科専任教員紹介

◆日本文学科専任教員と研究分野をご紹介します。

林 稔 書法論と中国古代文字研究

林 稔

盛岡大学における書道は、中学校の国語科免許取得に含まれる書写と、高等学校の芸術科書道免許取得のための授業が主となっています。「教育書道演習I」では、筆、墨、紙、硯の所謂「文房四宝」の用い方より、楷書体、行書体の基本的運用筆法等を、その基礎から指導します。「芸術書道演習II、III」となるにつれて草書体、仮名と進み、「書道作品研究II」では、卒業制作として自己風格のある作品を研究して展示発表しています。その他に、「書道科教育法II」では、高等学校での書道指導法を演習形式で行い、「中国書道史」では、書道の歴史を学習し、「書論」では、書道の理論である中国人から日本人の遺した書論を学びます。

書道はただ書くだけではなく、歴史も理論もあるのです。例年、二十人前後の学生が書道の免許を取得して卒業していきます。ただし、本学では高等学校の国語の免許を取得しようとしない人は書道の免許も取得できませんのでご注意下さい。

大石泰夫 古代文学と民俗学

大石 泰夫

私が研究のテーマとしていることは、端的に言うと「人間にとっての〈ウタ〉とはなにか」ということです。今、あえて〈ウタ〉と記しましたが、このカタカナにどんな漢字を当てることを想像するでしょうか。「歌」「唄」「詩」等々、いろいろな漢字が当てられますが、日本古典文学で〈ウタ〉というと「和歌」とりわけ「短歌」を意味します。要するに、日本古典文学では「歌」を当てることが普通であるということになります。しかし、今日一般的には「歌」といえば「歌曲」、すなわち〈ウタ〉は文学でなく芸能に属するものを指し、「短歌」とはかけ離れた存在になっていると思います。同じ〈ウタ〉という言葉なのですから、これは本来同じものを示しているはずなのです。そこで私は、芸能の〈ウタ〉と文学の〈ウタ〉を一緒のものと考え、民俗芸能と『万葉集』を対象として「人間にとっての〈ウタ〉とはなにか」ということを研究しています。

須藤宏明 日本近代文学 

須藤宏明

日本近代文学専攻。大きな題目としては、「日本近代文学の表れた疎外者の研究」です。主に新感覚派の文学の研究をおこなっています。具体的な作家としては、川端康成と鈴木彦次郎の文学の研究が中心です。鈴木彦次郎は、川端康成と一高からの同級生であり、大正末から昭和初期にかけて、新感覚派文学の担い手の一人として活躍した作家です。盛岡出身の人です。彼の小説の特徴は、故郷盛岡近辺の農村を舞台にしていることにあります。これは、その当時流行った農民文学と新感覚派文学の関わりがあります。しかし、このことは、まだ研究が進んでいないのが現状です。

彦次郎は、新感覚派文学衰退後に、川端の文学とは路線を違え、大衆文学、とりわけ相撲小説といった分野を多く手掛けます。これは、昭和初年題からの、大衆文学・時代小説との関係が深いと思われます。この大衆文学現象は、大きく捉えると現在のサブカルチャーに連綿と受け継がれているものです。彦次郎に関する大衆文学の研究は、実は、現在性の問題なのです。

今後、新感覚派文学、及び、その周辺の文学との関わりを軸にして、「新感覚派文学の研究」をまとめていくつもりです。

高橋俊和 日本近世文学

高橋俊和

江戸時代の文学と思想を主に研究しています。また、平安時代の漢詩文や女流文学、特に一条天皇時代の『源氏物語』『枕草子』に興味を持って読んでいます。

日本文学の中で、平安時代に隆盛を極めた王朝貴族文化の伝統は、文学の面においても根強いものがあります。文化の担い手として町人が台頭してくる江戸時代には、町人によるまったく新しい文学が生まれてきます。小説においてそれは顕著であり、浮世草子・読本・合巻・黄表紙・洒落本・人情本・滑稽本などの様々なタイプの小説が出現しました。

担当している科目の中に「古典講読(散文)」があります。授業では、上方大阪の作家上田秋成によって作られた大変おもしろい「雨月物語」(九編)を読んでいます。当時はもちろん、現在も人気のある「雨月物語」は中国の短編小説を翻訳した伝奇小説で、わが国怪異小説史上、最高の傑作と言われている作品です。

橋本博幸 日本語史

橋本博幸

私は日本語についての研究をしています。日本語の中には多くの興味深い問題が潜んでいます。担当科目である「日本語学概論」で取り扱ったことのある話題の中から一例を示してみましょう。手元にある国語辞典を開きます。「ぱ」からはじまる言葉を拾いだし、順に並べると次のようになります。

  • パー(ゴルフ用語) パーキング(駐車場) パーク(公園) パーセント(百分率)
  • パーソナリティー(人格) パーツ(部品) パーティー(集会) パート(部門)・・・

いずれもカタカナで書かれている語ばかりです。同様に「ぴ」「ぷ」「ぺ」「ぽ」ではじまる語をあげていっても似たような結果が得られます(ピアノ ピーアール ピーク ・・・/プードル プール プッシュ・・・/ペア ペイント ページ・・・/ポイント ポエム ポーク・・・)。つまり「ぱ行音」が語の頭に来る言葉というのはほとんどがカタカナ語なのです。これはなぜでしょうか?このような問題に対して考察し、答えを見つけるのが私の仕事です。うまく説明できたときには何とも言えぬ感動と興奮を覚えます。というよりもそういう感覚を味わいたいがために現在の道に進んだと言った方が適切かもしれません。

矢野千載 書

矢野千載

研究分野は中国古代書道史で、特に新出土文字資料を中心とした研究を行っています。新出土文字資料というのは1970年代以降に中国大陸各地の地下から発見されているもので、戦国時代・秦代・漢代に書かれた肉筆の文字資料を指すことが多く、それらの文字資料をもとに篆書から隷書へと漢字が変容する過程を実証的に解明しようと試行錯誤しています。

本学で書道の演習科目を履修する学生は、筆を持つのが小中学校の書写の授業の時以来という人が少なくありませんが、書道を専門に学ぼうという人・大学から新たに始めようという人・国語の教員免許のためにという人などが集まって、それぞれのペースで書道に取り組んでいます。「教育書道演習II」では中学校の国語科の書写について、学習指導要領に示されている内容を確認しながら、毛筆を用いた実技指導ができるようになるための授業を行っています。

塩谷昌弘 東北文学・郷土文学

東北文学、とくに岩手県出身の文学者である石川啄木の研究をしています。また、郷土文学についても、関心を持っています。郷土は、近代的な都市の発展とともに誕生しました。生まれた土地への想いは、文学作品のなかにおいて、複雑に表象されています。懐かしさ、愛しさといったポジティブな感情を孕みつつ、その反転としての恨みや、侮蔑などの感情も表象されています。こうした二律背反の感情を生み出す力学が、郷土という場には働いています。というのも、郷土とは、現実の土地だけを意味しているのではなく、「遠くにありて思うもの」というように、空間的にも時間的にも隔てられた仮構された場でもあるからです。従って、郷土というのは予め喪失されながら、現実のどこかにあるような存在であり、それ自体が二律背反な場なのです。

そのような現実でもあり、虚構でもあるような土地の文学こそが郷土文学であり、また、東北においては東北文学なのではないでしょうか。わたしの講義では、とくに石川啄木と宮沢賢治について取り上げます。一緒に東北、郷土という場について考えていきましょう。

教職専門課程

藤原正義 国語科教育

藤原正義

これからの「国語科教育」はどうあればよいか。生徒の学力(国語力)向上とともに、教師の指導力(授業力)向上を中心として「国語科教育法」を主要なテーマとして研究・研修を行っています。

授業を通じて、「将来、国語教師になりたいので盛岡大学を選んだ」という学生の声を多く聞きます。そのような学生の希望を適えられるようにするのが大学人としての責務と考えていますので、いつでも気軽に研究室のドアを叩いてください。

教育は人なりと言われるように、人によって教育の正否が決まります。教科の指導力とともに、教育者としての豊かな人間性をも培う学びの場として授業を位置づけたいと考えています。

縁あって本学を選んだ学生の皆さん、母校愛をもち(具体的には友だちを好きになること、先生を信頼すること、施設や環境を大切にすること)希望する進路実現に努めてください。そして岩手山、姫神山の眺望をいただく自然豊かな本学のキャンパスライフを十分に満喫してください。

日本語教員能力養成課程

嶺岸玲子 日本語教育

嶺岸玲子

『日本語教授法』は、外国人に日本語を指導する日本語教師を目指す学生が、幅広い知識と技術を身につけるための基礎となる科目です。盛岡大学の日本語教員能力養成課程では、この授業をはじめとして、日本語教師に必要な資質を育むためのカリキュラムがみなさんを待っています。

日本語教師には現在でも、日本人なら誰でもなれるとか、英語が話せないと教えられないといった誤解があります。確かに日本人なら誰でもなれますが、それは他の職業と同じような相応の勉強と努力があってのことです。英語はできないよりはできたほうがいいですが、学習者の多くは英語を話せません。一番重要なのは、幅広い見識と心を持ち、世界と将来を大きく見渡して発展的に物事を捉えていける、成長し続ける姿勢です。

日本語教師には国家資格が存在せず、大学で履修し卒業することがそのまま実質的な資格となります。少子化を抱える日本では、今後外国人が増え続け、思わぬところで日本語を教える機会を持つ人も多くなるでしょう。日本語が「話せる」ことと「教えられる」ことは、大きく異なります。自分が持つ言葉や文化の力を異文化に向けて発信するために、日本語教育を学んでみませんか。

図書館司書課程

小原 俊一 

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